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| 1.名張のイメージと概況 |
下の絵から、名張の町をを想像してください。
江戸有名な錦絵の画家であった安藤広重(二代目)が作成した名張の風景です。 本錦絵は現存数が少なく市立図書館等数点だそうです。 誰もがそうだと思いますが、皆さん家にいらっしゃる時は近鉄電車を利用しますが、山の中をだいぶ来たところが名張で、どんなに山の中かと思われるそうです。町の中は絵にもあるように3本の川が流れ、それぞれで鮎釣りが出来ます。また、天然記念物の山椒魚も散見できます。水と緑が綺麗な町です。 |
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(1)所在地 北緯 34°37’27”
東経 136°06’40”
(2)面積(Km2) 129.76
(3)広ぼう(m) 東西 10,550 南北 13,100
(4)海抜(m) 225.93
(5)交通のご案内
@電車の場合
大阪(難波)から名張:近鉄特急で58分、
名古屋からでは近鉄特急で1時間26分
A自動車の場合
名古屋西ICから102km、梅田ICから93km
(6)名張市の人口(平成16年12月1日現在)
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世帯数 |
男 |
女 |
総数 |
| 住民基本台帳(a) |
29,441 |
40,880 |
43,537 |
84,417 |
| 外国人登録(b) |
361 |
324 |
334 |
658 |
| 総数(a)+(b) |
29,802 |
41,204 |
43,871 |
85,075 |
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(7)名張の位置
東は津市、北は伊賀市、西は奈良県の宇陀市に隣接しています。下は名張の市街地の地図です |
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| 2.自然 |
■赤目四十八滝(あかめしじゅうはったき)
室生赤目青山国定公園の中心に位置し、その長さは約4キロにも及びます。 赤目の神秘的な自然は、日本の滝百選に、また森林浴の森百選にも選ばれ、その渓谷に織り成す樹木、渓流、滝などの奏でる優雅な色彩と音のハーモニーが自然をより楽しませてくれます。 赤目四十八滝の入り口に「日本サンショウウオセンター」があります。
ここには、世界各国のサンショウウオが勢揃いしています。「生きた化石」と呼ばれ、約千万年以上の太古からほとんど変わらない姿で生きてきた貴重な生物であるサンショウウオの生態を水族館スタイルで観察することができます。 *下は切手にもなっている、にないの滝です。 |
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■香落渓(こおちだに)
名張川の支流・青蓮寺川に沿う香落渓は、関西の耶馬渓と呼ばれる渓谷で、まるで斧で断ち割ったかのような柱状節理の岩肌が約8kmに渡って続いています。中でも天狗柱岩・屏風岩などの眺めは素晴らしく、その雄大な光景は自然の造形美を楽しませてくれます。 |
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■青蓮寺湖(しょうれんじこ)
青蓮寺川に建設された青蓮寺ダムは奇勝香落渓の玄関口にあり、春の桜や秋の紅葉など四季折々に美しい姿を湖面に映しだしています。また、周辺環境整備により、テニス、バードウォッチング、ブラックバス釣り等も楽しめます。 青蓮寺湖畔に広がる果樹園では天候に関係なく、家族連れやグループで、ぶどう狩り・いちご狩りを楽しめます。(駅や電車の中の広告が近畿一円に掲載されています。) |
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■赤目の延寿院のシダレザクラ
名張市赤目町長坂(赤目四十八滝の入り口)の黄瀧山延寿院境内にあるシダレザクラ(市指定天然記念物)は、高さ7メートル、幹回りは最大3.6メートルで、樹齢約350年だそうです。江戸時代の始め頃ですね。「菩提桜」の別名もあります。綺麗ですよ。(2009年4月3日撮影)
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黄瀧山延寿院は今を去ること1300年の昔(西暦7世紀末頃)、後の修験道の祖・神変大菩薩として祀られた「役小角」(えんのおづぬ)が開かれたとされる「行者伝説」がある。その後平安期、保安3年2月5日(1122)乗智上人延増によって堂宇草創建立されたと文献にある。(東大寺文書) 津藩藤堂家の祈願所として存続された。「四十八」の数に阿弥陀仏の本願「弥陀の四十八願」を掛け、明王が赤い目の牛に乗って出現した古事により『赤目』と呼ばれる。御目の赤は不動の『慈悲の心』を表わし、『延増上人』の「延」をいただき、「黄瀧山聖玉龍寺延寿院」と号す。 |
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| △TOP |
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| 3.文化 |
■観阿弥(かんあみ)
能楽大成者 観阿弥は妻の出生地である名張市小波田で初めて猿楽座(後の観世座)を建てました。その後、足利三代将軍義満の絶大な庇護を受け「能楽」として京の地で開花し、伝統芸能の一つの頂点になりました。 |

名張市役所の観阿弥像
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■江戸川乱歩(えどがわらんぽ、(1894〜1965)名張郡名張町出身)
日本の探偵小説を創始した作家、江戸川乱歩は、明治27年(1894)、名張の町に誕生しました。生後まもなく転居したせいで、乱歩にとって名張は「見知らぬふるさと」でありつづけましたが、晩年になってようやく「ふるさと発見」が果たされ、昭和30年(1955)には名張市民の手で「江戸川乱歩生誕地」碑が建立されました。碑には、乱歩の略伝と代表作がこんなふうに記されています。
◆代表作◆ 人間椅子 パノラマ島奇談 黄金仮面 怪人二十面相 少年探偵団 新宝島 |
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■夏見廃寺(なつみはいじ)
夏見廃寺は名張川右岸の夏見男山南斜面にある古代寺院跡で、出土遺物から 7世紀の末から8世紀の前半に建立されたと推定されています。醍醐寺本薬師寺縁起に「大来皇女、最初斎宮なり、
神亀2年(725)を以て浄(御)原天皇のおんために昌福寺を建立したまう。夏身と字す。もと伊賀国名張郡に在り。」と記載された個所があり、その昌福寺が夏見廃寺と考えられています。天智天皇の子、大友皇子と天皇の弟、大海人皇子(天武天皇)の間に、
皇位継承をめぐって壬申の乱(672年6月)が起こり、大海人皇子が吉野で秘かに挙兵し、美濃国不破関に向かう途中、夜半に名張に着きます。 駅家に立ち寄り「天皇、東国に入ります」と告げますが、これが、これまでの「大王」が「天皇」と呼ばれた最初であるという説があります。戦いに勝った大海人皇子は、3か月後に飛鳥に帰りますが、その前夜名張に
一泊しています。往復とも夏見のあたりを通り、名張川を渡ったと思われます。天武天皇にとって出陣と凱旋の地、名張を終生忘れられなかったと思われます。 |
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■藤堂家(とうどうけ)
城下町名張を語る上で欠くことが出来ないのが名張藤堂家邸跡です。 津藩藤堂家の一門で寛永13年(1636)から明治維新まで11代にわたり、名張に居を構えた藤堂宮内家の屋敷跡です。現在残されている屋敷は、宝永7年(1710)の名張大火で焼失した後に再建された殿館の一部で「中奥」「祝間」「圍」などの私的な生活を送る建物です。 この屋敷とともに、「豊臣秀吉朱印状」「鉄唐冠形兜・一の谷形兜」「朱具足」「備前無銘刀」「藤堂高吉公一代記」「羽柴秀吉・丹羽長秀の書筒」など学術的にも貴重な文化財が、平成3年に名張藤堂家から市に寄贈されており、平成4年に保存修理事業が完了した屋敷とともに一般公開されています。 |
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■美旗古墳群(みはたこふんぐん)
名張市内最古の遺物は一万年前の石器ですが、名張川の南岸、下川原遺
跡からは縄文時代後期の集落が発見され、たくさんの土器とともに、東国の住居スタイルの柄鏡形住居も見つかっています。名張は古くから大和文化が流入し、各地に数多くの遺跡などが残っています。 名張川支流の小波田川上流右岸の標高200mの台地上に、伊賀地方で最大規模の古墳群が営まれています。現存しているのは、5基の前方後円墳と横穴式石室を持つ円墳1基、方墳1基で、「カブト塚」・「矢羽塚」・「玉塚」などの方墳と円墳の多くは消滅しました。これらの古墳は地域を支配した有力者が、4〜6世紀にかけて造ったものと考えられています。。「小塚」「毘沙門塚」「女郎塚」など、大小7基の古墳が点在しており、とりわけ「馬塚」は、美旗古墳群の中で最も大きな前方後円墳です。全長142m、後円部直径98m、前方部幅は100m、墳丘の全面は葺石(高塚の盛り土の丘を覆う石塊で、川原石や山石などが用いられる)で覆われています。前方と後円の接合部両側に造出があり、まわりに幅7mから広いところで25mの周濠が見られます。 |
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■ひやわい(庇間)
狭い路地。ひあわい(家と家の間の狭くて日の通らないところ)が語源だそうです。
子供の頃には、よく見慣れた風景でしたが、最近ではとんと見かけることが出来ません。昔はどぶ板がはまっていたりで、非常に懐かしい風景です。どぶの臭い等皆さんは嗅いだ事無いと思いますが何故か懐かしい臭いです。 写真を撮った所から少し戻ったところが、実は江戸川乱歩の生誕地です。駅から徒歩で10分位の距離です。まだ、この様なところが名張には沢山残っています。
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| △TOP |
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| 4.伝統(名張のお店の紹介は「なばりワールド」で) |
■伊賀焼(いがやき)
日本六古窯の一つに数えられる伊賀焼。この伊賀焼がおおいに発展したのは茶道のはじまりと、江戸時代を通して藩主であった藤堂家の保護によるものです。はじめは茶壺など日常雑器が主に造られていました。 伊賀焼の特徴は、華美な装飾を施さず、素朴さのなかに秘められた大地の生命力を感じさせてくれるところ。大胆なへら使いと造形、そして微妙な炎の加減からあの独特の美しさは生まれるのです。 |
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■かたやき
城下町の風情が漂う伝統の銘菓「かたやき」は、もともと戦国時代に伊賀忍者が携帯兵糧として考案し、使用しはじめたものと伝えられています。戦においてこの「かたやき」をよく用いた武将に百地丹波がいます。彼が天正伊賀の乱において赤目山麓の柏原城にたてこもり、持久戦に持ち込んで織田軍を悩ますことができたのもこの「かたやき」があったからだと言われています。 戦の兵糧として生まれた「かたやき」は、江戸時代になると砂糖などを加えたお菓子に姿を変え、広く庶民に愛されるようになりました。風土と人の知恵が生み出した「かたやき」は、歴史を感じさせてくれる名張を代表する銘菓です。 ほどよい甘さと芳しい香り、歯ごたえのある素朴な伊賀を代表する銘菓です。 |
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■組紐(くみひも)
複雑な糸の組み合わせのなかから、鮮やかな色彩と優美な絵柄が生み出される「組紐」。熟練した職人の手さばきは、寸分の狂いもなく正確に美しい組紐を織り上げていきます。名張にとどまらず伊賀地方全体の伝統工芸品として知られるこの組紐づくりがはじめられたのは明治35年のこと。上野に住んでいた広沢徳三郎と言う人物が、東京からその技術を持ち帰ってからだと言われています。 |
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■松明調進(たいまつちょうしん)
3月1日から14日までの2週間にわたって、奈良東大寺二月堂では修二会、いわゆる「お水取り」が行われます。行法としてのお水取りは13日の午前2時頃に行われ、その後内陣で韃陀の妙法と言う水火の荒行がはじまります。 この荒行に用いる松明は、古来名張市赤目町(地図参照)一ノ井から調進されるのが習わし。宝治3年(1249)、黒田庄領主の任にあった聖玄法眼が二月堂の二十七夜行法の松明料として、新庄・中村の私領田6段を寄進したと言うことが東大寺の文書に見られることから、今を遡ること約700年前の鎌倉時代から伝承される行事であると、地元では言い伝えられています。 この言い伝えの真否は別としても、かなり古い時代から続けられている行事であることがうかがえます。また、小波田の火縄は、竹の繊維からつくられる上質のもの。京都の八坂神社にも納められているこの火縄は、江戸時代にまで遡る由緒あるものです。 |
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■庭の白蓮 |
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